フォアグラドットコム

フレッシュフォアグラ
【送料無料】フォアグラフレッシュ(ハンガリー産)
14,400円 (税込) 送料込
 
賞味期限:冷蔵で1週間、 約500g〜700g/個
ご注文を受けて約3〜5日後の発送となります。ハンガリー産のガチョウのフォアグラです。
フランス料理としてだけなく和風の味付けなど をしてさらに親しまれるようになりました。 最高級の食材を是非お試しください。

フォアグラのテリーヌ
【送料無料】フォアグラテリーヌ約300g
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切って出すだけでホームパーティでも手間をかけずに本格的で超!おしゃれなオードブルを演出します!

フォアグラスライス済み
フォアグラ・スライス
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使いやすいスライスタイプなので そのままお使いください。
1枚1枚丁寧に真空パックされてます。1枚あたり約50gのポーションですのでちょうど1人前の目安でお使いいただけます。

2006年05月07日

ガバージュ(強制肥育方法)

フォアグラの最大の特徴はその肥大した肝臓とその肥育方法にある。

この強制肥育法はガバージュといい、独自の伝統の上に成り立っている技法である。また最近の情勢に伴い、その方法も近代化され、ガチョウや鴨にストレスをなるべく与えないような工夫もされている。

ここでは比較的ガバージュのしやすい鴨を実例にとって解説する。

フォアグラ用の鴨はそれ専用に飼育する。生後6週間は温度と湿度を厳密に管理し、さらに消毒された清潔な部屋で飼育する。これは病原菌などに感染しないように健康体の鴨を育てる第一歩である。次の6週間でガバージュに耐える体を作るために自然の環境の中で飼育する。このとき与えられる飼料はとうもろこし、小麦を主体にビタミンやタンパク質、カルシウムなどを添加した配合飼料である。ここで生育農家の飼育は終わり、次にガバージュ専用の農家に引き渡される。

ガバージュ専用の農家の役割がそのフォアグラの質を大きく左右する。ガチョウも鴨も生き物である以上、いかにストレスを与えないようにするかに細心の注意が払われる。

鴨は暗くて静かな専用室内に入れ、約2〜3週間かけて餌を与える。この餌は一昔前までは柔らかく茹でたとうもろこしなどを使っていたが、現在ではとうもろこしの乾燥粉末を水でこねてペースト状にしたものを使う。鴨の口の中にノズルを差込み、餌を強制的に流し込む。最近は電動式のポンプを使うので所要時間は40秒で終了する。これを12時間ごとに繰り返し、肝臓を肥育させるのである。餌の量は通常500g程度。

gavage.jpg

ガバージュの期間や回数はその鴨の種類や成長の度合いで異なるが、ガバージュ開始前の鴨の体重の5倍にあたる量の餌を与えるのが通常で、これによって元々150gの肝臓が600gにまで肥大する。

こうして生産されたフォアグラは取り出されるが、その後の処理は水に付けて血抜きをしたり、またしなかったりと各生産業者によって異なる。フォアグラを取り出した後の鴨肉は、マグレと呼ばれ、もも肉はコンフィーにまた胸肉はローストやグリエにしてレストランのメニューにのぼったり、加工されて販売される。

ガチョウの場合も鴨と同様にガバージュを行うが、ガバージュ期間は鴨より長く約3週間、1日3〜4回行う。トータルの生産サイクルは鴨の14〜15週間に比べ、最長19週間と長い。
  
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ガチョウと鴨のフォアグラ

foiegras oie.jpg

ガチョウのフォアグラ
 重量 600〜1100g
 色は白っぽい黄色である。


foiegras canard.jpg 

鴨のフォアグラ
 重量 450〜750g
 色は黄色身が強い。黄土色。


個体差の違いは単純に成体の大きさの違いである。鴨よりガチョウのほうが一回り大きいのでフォアグラにもその差が出る。ちなみにフォアグラ用の鴨はバルバリー種の雄と中国産ペキン種の雌の交配種のミュラール種である。

味の違いに関して述べるのは非常に難しいが、一般的にガチョウのフォアグラは上品な味でなめらかといわれ、鴨のフォアグラは脂が溶けやすく、香りが強いと表現される。しかし、その差はそのフォアグラの状態に大きく左右されるので、むしろ鮮度がよく、脂肪の質がいいことが第一条件である。
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フォアグラ【現在】

フォアグラはすでに国際的な食材のひとつとなっているが、それを取り囲むニュースには否定的なものも少なくないのが実情である。

最近のニュースをピックアップする。

2004年9月29日、カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーは2012年までにカリフォルニア州内で鳥に強制的に食事を与えて作られたフォアグラの生産と販売を禁止する法律を施行した。同法では、動物虐待ではない方法で生産されたフォアグラの販売は認められる。

2005年10月2日、イスラエル政府は、世界三大珍味の1つとされるガチョウやカモなどの肝臓、フォアグラを目的とした強制飼育は動物虐待に当たるとして、こうした飼育を禁じる見通しである。カッツ農相は同日の閣議で、美食目的のフォアグラ生産の継続を求めたが、多数決で却下された。閣議はフォアグラ生産者への 補償措置を検討することも決めた。

2005年10月、フランスの国民議会が農業政策に関する包括法の一部としてフォアグラは仏文化の遺産であるとした法案を全会一致で可決し、フランスが世界でフォアグラの80%以上を生産していることを指摘し、保護すべき仏文化、料理の貴重な遺産であると宣言。カモやガチョウの強制肥育についても、他に方法はなく止むを得ないとして擁護する姿勢を鮮明にした。

2006年4月26日、シカゴ市議会はフォアグラの販売を禁じる法案を賛成48、反対1で可決した。フォアグラを販売するレストランや食料品店に500ドルの罰金を科す内容で、90日後に発効する。販売に対して実際に罰金を科す法律の施行は、国内初となる。
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フォアグラの発展

En revanche, le pâté de foie gras, avec croûte feuilletée et barde de lard, a bel et bien été inventé à Strasbourg par Jean-Pierre Clause, cuisinier d'origine lorraine, alors au service du maréchal de Contades, en 1778. S'installant à son compte en 1784, Clause développa ensuite son invention et vendit à tour de bras son « pâté de foie gras à la Contades ».

D'où la richesse experte des fabricants de foie gras qui allaient multiplier leurs pâtés avec talent et faire nombre d'émules. Le premier d'entre eux fut d'ailleurs un Parisien, Nicolas Doyen, alors au service du président du tribunal de Bordeaux, peu avant la grande Révolution, et qui vint à Strasbourg chez Jean-Pierre Clause perfectionner son art, créant à son tour un « pâté de foie gras de Strasbourg aux truffes du Périgord ».

フォアグラはギリシャ・ローマの時代から食されていたが、フランスではまだ普及していたわけではなかった。

ルイ15 世治下の 1762年、軍人でもあり、美食家としても有名だったコンタード侯爵がアルザス総督としてストラスブールへ赴任する。そして1778 年に当時 21 歳だったジャン・ピエール・クルーズという料理人を雇った。まもなく料理長となった彼は侯爵の料理会を切り盛りするようになる。1780年頃クルーズは侯爵より来たる料理会でフランス一の料理を作るように命じられ、考案したのがフォアグラを仔牛のファルスと豚の背脂で包み、さらにパイ生地でまいて焼き上げるという料理であった。これが料理会において絶賛されると、ルイ16世にも献上され同じく大いに絶賛された。コンタード風パテと呼ばれたこの料理は瞬く間に当時の美食を求める貴族たちの間に広がったのである。さらにこの料理長は結婚後に料理長を辞して、この地に店を開き、作り方を簡易にしたパテ・ド・フォアグラを販売した。これも大反響をきたし、アルザスのフォアグラの発展に寄与した。

さらに、ボルドー議会の議長お抱えの料理人だったニコラ・フランソワ・ドワイアンがフォアグラのパテにペリゴールで採れる珍味なきのこ:トリュフ(truffe)の芳香を加えることを思い付く。この料理も大好評をはくし、このときからフォアグラとトリュフはお互いにとって最高の組み合わせとなり、料理としても一段と完成されたものになったのである。

こうしてフォアグラ料理の普及と共に、アルザス地方はフォアグラの一大生産地へと発展していき、この流れはさらにトリュフの生産地、ペリゴール地方へも還流するのである。
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フォアグラの起源【エジプト時代からローマ時代まで】

フォアグラといえば世界三大珍味の1つであるが、その歴史は遠くエジプト時代にまでさかのぼる。当時すでにエジプト人たちは、干しイチジクやなつめやし、麦などをガチョウに与えて飼育し、その肝臓を食していたようだ。彼らは渡り鳥が渡り始める前に食物をしっかりと摂取して体力をつけることを知り、栄養のある食物を与えることでその肝臓を美味なるものとし、食していたのである。

ちなみにエジプト時代の王様や貴族の食卓は非常に豊かであった。もちろん一般庶民もである。すでにメソポタミアからワイン作りも伝わっていたし、パンを原料として作るビールもあった。肉類は牛・豚・羊・山羊・カモシカ・鵞鳥・水鳥・鶏・アヒル・うずら・鶴・ハト等と非常にバラエティー豊かだし、魚類もナイルで捕れる魚やその加工品(カラスミ)・エビ・カニ・うに・ムール貝等の貝類も食卓にのぼっていた。

そういう環境の中で、フォアグラを生産していたとしてもなんら不思議なことではないのである。興味深いのはその当時の果実、ぶどうやイチジク、なつめやしなどはフォアグラと非常に相性がよく、現在のフォアグラ料理の付け合わせなどにも好んで使われることだ。何千年のときを経ても人間の味覚はあまり変わっていないのである。

エジプト時代からギリシャ時代を経てローマ時代へと歴史の主役は移り変わったが、フォアグラもまた、引き継がれてきた。1世紀のローマ人アピキウスが著した『料理帖』に登場する雌豚の肝臓料理 ficatumは 「無花果」を意味する ficus に由来するが、これは鵞鳥の代わりに安い豚を使い、無花果を大量に食べさせ、太ったところでその肝臓を取り出し、ワイン・オリーブ油・胡椒などで作ったソースをかけて食べたという記述がある。

さらにガチョウのフォアグラに関しては、そのガチョウを殺す前日にハチミツ入りのブドウ酒を大量に与え、フォアグラの風味をよくすることと共に、ガチョウに苦痛を与えずに殺していたというが、その効果がいかほどだったかは分からない。こうして当時の王様や貴族達の舌を満足させたフォアグラ料理だが、ローマ帝国の滅亡と共にいったん歴史の表舞台から姿を消すことになる。
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